P.K.G. MAGAZINE | パッケージを考える

COLUMN

縄文土器は日本最古のパッケージなのか

様々なものが潤沢にある現在で今や目にしない日はないパッケージですが、その起源はどこまで遡れるのだろうとふと疑問を持ちました。パッケージの定義も色々ありますが、ここでは『日本のパッケージデザイン その歩み・その表情』の中で美術評論家の中山公男氏が定義した内容を参考にし、下記4つの視点を基準に考えてみたいと思います。

1.包んでいる
2.輸送できる
3.保存できる
4.それ自体が自立している

最初に古くてパッケージらしい見た目をしていると思いついたのは縄文土器です。形状から何かを中に入れる為に作られたのは明らかだし、独特の文様も面白い。そこで縄文土器について調べてみました。

縄文時代の始まりは2万年前頃(時期については諸説あります)、縄文土器は主に煮炊き用として作られたものだったそうです。底部付近が火熱で変色していたり脆くなっていたり、煮こぼれや残りかすが炭化して付着している例があることからそのように判断されているとのこと。土器の出現により生では食用にならないドングリなどの木の実や根茎、山菜、キノコなども食ばられるようになり、縄文人の味覚を飛躍的に向上させたと言われています。縄文土器は現代の鍋だったのですね。なお西アジアも土器起源地の一つと考えられていますが、そこでは煮炊き用だけではなく食事用の鉢と貯蔵用の深鉢ともあったそうです。日本で食事用の浅鉢が登場するのは縄文時代前期、貯蔵用の土器が出現するのは弥生時代です。

最初に挙げた5つの基準を見返してみると、1.包んでいる2.輸送できる4.それ自体が自立しているは縄文土器に当てはまりますが、3の保存性は主な用途ではないようです。弥生土器の壺型土器にはふたがあったり口を木の葉のようなもので縛った状態で発見されたものもあり、密封するということに重要な意味を持っていたようです。弥生時代に土器に保存性が求められるようになったのは、農耕生活への移行により米を貯蔵する必要が出てきたからだと考えられています。

それではもっぱら煮炊きの道具として利用されていた縄文土器はパッケージではないのか。煮炊き以外の用途が他になかったのかというと、いくつかあるようです。その一つは吊手土器。土器の主体部であるいちばん下の皿の底は油のシミがついたような変色があり吊手の内側が黒いことから、中に灯心を立てて灯をともしたものだと考えられています。煮炊きが日常の料理に使われるのに対し、こちらは灯の神秘的な力を信じて狩りや採集の成功、豊かさを祈ったものだと考えられています。思えば現代では夜に明かりがあることは当たり前ですが、当時はとても特別なことだったのでしょうね。ですがパッケージなのかというと残念ながらこちらも保存が目的ではなさそうです。

もう一つ、特別な時に使われた土器として埋葬用の棺が挙げられます。特殊な土器の使い方としては最も多い用途なのだそうです。縄文時代には主に子どもの骨が納められていたとのこと。死を認識する生物はヒトだけだと言われていますが、1万年以上も前から亡骸を大切に扱う行為があったのですね。ここでもう一度パッケージの4つの基準を振り返ってみます。

1.包んでいる
2.輸送できる
3.保存できる
4.それ自体が自立している

それでは土器の棺を当てはめてみます。
1.人骨を包んでいます。2.それなりに重いでしょうが運べます。3.まさに保存の為のものです。4.自立しています。
おお、まさにパッケージ!棺はパッケージだったんだと思いがけない発見でした。甕棺墓と呼ばれていて、縄文時代後期から多く見られるそうです。吉野ヶ里遺跡では大規模な甕棺墓が発掘されているとのこと。しかし甕棺墓の形をみてびっくり(興味のある方は検索してみてください)。繭?ミサイル?みたいな形で縄文土器らしい装飾がないのです。

では縄文土器と聞いて頭に浮かぶあの独特な文様は一体どんな意味を持っているのでしょうか。
文献を読んでみると、意味を見出すのが極めて困難なのだそうです。そもそも1万年以上の前のことがわかるというだけでもすごいことですよね…。縄文土器の装飾は、はじめの頃はただ器面を飾るための目的であったと言われています。中期頃に文様のモチーフが何かしら主体的に意味を持つ、物語性文様ができたと位置付けられていますが、その物語が何なのかという事までは解明できていないようです。シュメール語であると主張している人もいます。縄文土器の特徴であるローラーによる回転圧痕の文様は、大陸の石器時代土器のなかにはほとんど見られないとのこと。4や6で分割されるデザインが多いそうで、目分量で等分割するのが容易だからという理由と共に重要な意味があるのかもしれないといった推測がなされています。逆に4と6の単位が使われていない土器には特別な意味がある可能性が高く、日常と非日常、あるいは聖と俗をつなぐ機能をもつものと解釈している人もいるそうです。

それでは縄文土器より古く、4つの視点を満たすものがあったのでしょうか。
あるとしたら自然界の何かだと思われます。また土器より先にザルは作られ使用されていたと考えられています。古い時期の縄文土器には比較的尖った底のものが多いそうで、ザルや動物の獣皮を丸めてつくったメガホンのような器を模しているのではないかと推察されています。また東南アジアの山地民族の中には竹筒の中で米を炊くという技術を持つ人たちがいるそうです。保存性は定かではありませんが、日本でもカシワのような大きい葉は古くから食器がわりに利用されていたようです。

さらに、棺が死のためのパッケージであれば母体は生のためにある自然のパッケージだと言えます。母体は小さな生命を包み、輸送も保存もしながら自身の生命を自立させています。ということは最も古いパッケージは生命が誕生した38億年前に?しかし細菌など繁殖方法が違う生物もいるのでカンブリア爆発が起こったといわれる5億4,200年前なのでしょうか。いずれにせよ遠い遠い昔ですね…。
これで、パッケージに思いを馳せるひとときの時間旅行を終わろうと思います。

参考文献
縄文土器の研究 小林達雄 2002
道具と人類史 戸沢充則 2012
縄文 (日本陶磁大系) 芹沢長介 1990
アジアと土器の世界 アジア民族造形文化研究所 1989
縄文土器は神社だった! 桂樹佑 2019
日本のパッケージデザイン その歩み・その表情 日本パッケージデザイン協会 2005

P.K.G.Tokyo 中澤亜衣

COLUMN

パッケージデザインは新時代に順応できるか。

これまで歴代のヒット商品は、とても印象的なデザインが採用されています。どれも記憶に残る素晴らしいパッケージデザインです。新旧、流行り廃りはあれどヒット商品が名作デザインであることはとても多いと感じます。それは言い方を変えれば、良い商品とは良いデザインによってプレゼンテーションされていると言えるのではないでしょうか。
プレゼンテーションされているとはどういうことか。例えば、これまでにない美味しさの食品が新たに開発されたとします。その事実をコンシューマーに伝えなければ評価を受けられず、当然商品が生き残ることはできません。多くの人に価値を認めてもらうために、作り手は「新しい美味しさ」をプレゼンテーションする必要があるのです。あらゆるコミュニケーションの中で、その「新しい美味しさ」という製品の本質に最も近い位置にあるものがパッケージデザインです。一見するだけでどんな人物かわかる「顔」になることこそがデザインの本懐。コンシューマーを納得させるだけの説得力が、その一瞬のプレゼンテーションに込められているのです。「百聞は一見にしかず」という言葉がありますが、その一見をデザインで表現することこそがヒット商品の呼び水となるのではないでしょうか。

しかし、時代や社会の進化は著しく一筋縄ではいかないようです。先述した例えではありますが「新しい美味しさ」と簡単に書いたものの、同じ枠組みの中で画期的な新しさとはどのぐらい開発できるものでしょうか。各企業の努力によってコンビニやスーパーで買えるものは大体美味しいし、ひどいものはすぐに淘汰されてしまいます。ものも情報も豊かな現代において、そもそも味のイノベーションなどそうそう起こるものではありません。品質の飽和はデザインの飽和を生み、どのデザインも似た表現に偏っているのが現状です。特に言うことがないものをプレゼンテーションするために、言葉を重ねることほどひどいものはありません。
そして時代は変わり、店頭で直接購入することだけが購買プロセスではない時代になりました。同じカテゴリーの商品が並ぶ棚で、いかにしてスポットライトを勝ち取れるかを競っていたパッケージデザインの目的は少しずつ消失しつつあります。またコンシューマーとの新しい関わり方も盛んになってきました。サブスクリプションサービスは買って終わるコミュニケーションではなく長期的な利用を目的としています。これまで商品だったものがサービスとなったのです。商品の本質が変化したのであればそれをプレゼンテーションするデザインも進化しなければなりません。

これからの時代、ニーズが細分化する中で生まれるヒット商品とはどんなものになるのでしょうか。新しい時代には新しい価値が求められます。デザインで表層を取り繕う時代は終わりました。クオリティが均質化する社会において、デザイン経営に代表されるようにデザインは「顔」としてだけではない、新しい価値を体現する役割が求められています。
ビートルズは昔、前衛的で不良の音楽とされていましたが、その後誰もが聴く音楽となり今ではクラシックと言っても過言ではない。デザインもまたクラシックの領域に入ろうとしています。しかし、いまだに新しい音楽が新しいニーズに合わせて生まれるように、デザインもまた社会の変化に対応し、役割を変えながら進化していかなければいけないのです。淘汰の道を免れるため新たなベクトルにシフトすることが、デザインにも求められていると感じています。

P.K.G.Tokyo ディレクター:柚山哲平

COLUMN

「デザイン経営」その1/それ本当に必要ですか?

2020.06.21

2018年5月の経済産業省 特許庁による「デザイン経営宣言」から2年、2020年3月に「デザイン経営ハンドブック 」「デザイン経営の課題と解決事例 」を発表しました。もちろんすでに読んでいる方々も多くいることと思いますので、中身に詳しく触れることは置いておきましょう。ここでは、デザインの価値について多かれ少なかれ理解があり、デザイン経営の導入を検討してみたいという企業において、果たして「デザイン経営は我が社に必要か?」を判断するためのひとつの尺度として「デザインラダー」を取り上げます。

「デザインラダー(Ladder=はしご、手段、段階)」とは、デンマークデザインセンターが2015年に発表し提唱している、企業におけるデザインの活用度を計るためのツールです。

“The Design Ladder”
https://danskdesigncenter.dk/en/design-ladder-four-steps-design-use
出典: Danish Design Centre

この中では、企業のデザインの活用度を極めてシンプルな4つのステップに区別しています。

◇ステップ1「デザインの活用なし」
◇ステップ2「見た目としてのデザイン」
◇ステップ3「プロセスとしてのデザイン」
◇ステップ4「戦略としてのデザイン」

このツールをもって冒頭の「デザイン経営は我が社に必要か?」の判断はどのようにするのでしょうか?その答えはとても簡単です。ステップごとにみてゆきましょう。

◆ステップ1「デザインの活用なし」の企業に、デザイン経営は必要か?

【答え】必要。可能性は無限大です。
ただし、経営者に理解がない場合にはデザイン経営導入の余地なし。「経営」というワードが入っている以上は当然のことですね。導入を試みる担当者は経済産業省 特許庁の資料を駆使して、経営者に承諾を得ることから始めてはいかがでしょうか。

◆ステップ2「見た目のとしてのデザイン」活用の企業に、デザイン経営は必要か?

【答え】必要。デザインは見た目だけではありません。
デザインの一要素として見た目は非常に大切ですが、その背景にある意味や理由こそデザインの価値を伝えるものです。見た目のデザインの好き嫌いからの脱却をするためにもデザイン経営が必要です。

◆ステップ3「プロセスとしてのデザイン」活用の企業に、デザイン経営は必要か?

【答え】必要。さらに理想形を目指しましょう。
プロセスの初期段階からデザイン的思考を取り入れた開発が出来ているということは、すでにデザイン経営にリーチしていると言えるかもしれません。しかしながら、デザイン経営の本質はイノベーション力とブランド力です。そのためにもさらなるデザイン経営の活用が必要です。

◆ステップ4「戦略としてのデザイン」活用企業に、デザイン経営は必要か?

【答え】必要。更新し続けることに価値があります。
すでにデザイン経営企業です。経営者直轄のデザイン部門にデザイン責任者がおり、すべての事業部署を統括している状態であればデザイン経営の理想形です。イノベーション力とブランド力を更新し続けるためにも、引き続きデザイン経営を活用する必要があります。

結論。
どのステップにおいても、デザイン経営が必要というのがここでの答えです。しかしながら、経営者がその価値を見出すことなければ全く意味をなしません。ご自身が経営者でなければ、経営者を巻き込むか、それができなければデザイン経営をあきらめましょう。

また、このツールにおけるステップは企業の現在地を把握するためのものであって、一段ずつ上がるためのステップではないと考えています。現在ステップ1であろうと一気にステップ4の理想形を目指すのがデザイン経営です。言うまでもなく、ステップ3は2を、ステップ4は2と3を内包しています。

私たちは企業価値のポテンシャルを上げる「デザイン経営」を日本企業の99.7%を占める中小企業に活用してもらうべく、いくつかのアプローチでハードルを下げる試みをしてゆきます。この記事に続き、今後もデザイン経営のコラムを配信できればと思います。

P.K.G.Tokyo ディレクター 天野和俊

COLUMN

WITH COVID-19 – コロナのなか、わたしが思うこと。 vol.02

新型コロナウイルスの感染拡大で、
これまでの日常では想像も出来なかったようなことが起きました。

自らの生活や世の中の在り方を改めて振り返る機会を得たように感じます。
第一線で対応にあたる医療従事者や日々の生活に欠かせないスーパーの方、
行政や政府の関係者の方。様々な人によって生活が支えられていることを知りました。

私自身も在宅勤務も時間が経つにつれ、作業環境も整いました。
これまでと違い、スーパーと自宅の往復のみで過ごす日々。
初めのうちは、外出が極端に減り慣れない点もありましたが、家族との時間が増えたり、些細な自然の変化に気づいたり、日々の暮らし方を見直したり、と発見も多いものです。意外に驚いたのはスマホを使う時間が極端に減ったこと。通勤時間についつい画面を見る時間がどれだけ多かったか気付かされました。
出来る事も限られますが、逆に削ぎ落とされたシンプルな世界はある意味新鮮な部分も多々ありました。

また、在宅中に感じたことは「クリエイティブ」の重要性。
情勢が日々激しく変わり、気持ちもどこか落ち込みがちになる今、
作ることは気持ちを暖かくしてくれるものなのかもしれません。
世間でも、お菓子作りや家庭菜園を始めたり、手芸が人気でミシンの売上が上がったというニュースも目にします。これだけ選択肢の多かった世界から、制限のある中で、どのように楽しみを見つけ出すかということも、クリエイティブなのかもしれません。


緊急事態宣言は解除され、外出も緩和されていますが、まだまだ気が抜けない日々が続きます。何かお家で楽しめるものはないかと思い、カレンダーとランチョンマットとして使えるぬり絵を作りました。生活の中のちょっとした楽しみになれば嬉しいです。

↓ こちらからPDFデータのダウンロードが可能です。
カレンダー(6、7月)
calender
ランチョンマットぬり絵
nurie

P.K.G.Tokyo 大西 あゆみ

COLUMN

WITH COVID-19 – コロナのなか、わたしが思うこと。 vol.01

ビニールシートで隔てられた窓口やレジ。
真ん中をぽっかりと空けて画面の両端に映るアナウンサーとMC。
一見異様にも思える光景ですが、これは今や当たり前。

5月29日、東京都知事の小池百合子氏の会見では、長期にわたり新型コロナウイルスと共存していくという「Withコロナ宣言」が発表されました。
感染者数はピーク時より抑えられたものの、予断を許さない状況。
外出自粛が緩和されていますが、完全に脅威が去ったとは言い難くまだ油断のできない日々です。

緊急事態宣言中、私は在宅勤務にて対応していましたが、業務内容によっては会社の設備が必要なため何度かオフィスへ赴くことも。いつもより乗客が少ない電車。車両の窓が常に開いており開放的。これもウイルス対策のためですね。電車内の感染のリスクを抑えるために、つり革を直接触らずに握れるグッズも販売されているようです。

今までも販売されていた製品で、コロナの影響により急速に需要が高まったケースもあります。
その最たるものがマスクです。今や生活必需品となっています。
シャープをはじめとする多くの企業が製造・販売を始めましたが、いまだに品薄状態。
こうした需要の高まりや人々の焦りを利用し高額転売やマスク詐欺などが横行する中、正規販売店に入荷したマスクをわれ先に手に入れようと開店前のドラッグストアに並び「3密」を作ってしまう人々がいることも問題になりました。今までにない危機的状況の中、欲しいものが手に入らずに不安になる心境も理解できます。
しかし、こうした危機に直面しても、手元にあるものを使い創意工夫によって対処している方もいます。
マスクの不足には、手作りのマスクで対応できるようSNSやインターネット上にてマスクの型紙が配布されています。医療用ガウンが不足する医療現場では、ある看護師がゴミ袋を利用した医療用ガウンの代替品の作り方を公開しました。これらのニュースはささやかな出来事かもしれませんが、この創造力と発想の柔軟さはデザインをするうえで見習いたいものです。

また、必需品以外にもSNSでは様々なアイデアが飛び交います。
外遊びが出来なくなった子どもたちへ、クリエイターたちが塗り絵や紙工作キットなどを配布していました。
散歩が楽しくなるよう「おさんぽビンゴ」という素敵なものを作っている方がいました。
散歩中に見かけたもの、…例えば「のら猫」とか「信号機」とか。歩きながらチェックを付けてビンゴカードを埋めていくというものです。
旅行など遠くに遊びに行くことはまだ叶いませんが、近所をお散歩するだけでもリフレッシュになります。
この「おさんぽビンゴ」を私も作ってみました。
商品としても販売されているものもあるみたいですが、自分の手で作ってみるのは楽しいですね。

「みちくさBINGO」
道端に生えている草花をモチーフにしたお散歩ビンゴです。
全種類の植物をコンプリートするためには、結構な「みちくさ」が必要となります。
私のように運動不足を感じている方へ、オススメですよ。

↓ こちらからPDFデータのダウンロードが可能です。
200605_pkgtokyo_michikusa_bingo

最初は不安だったテレワークも一ヶ月間も続くと快適さすら感じます。朝の満員電車からの解放は一番のメリットです。外出自粛が段階的に緩和され外へ出たい気持ちもありますが、急を要する用事がない時はまだ自宅で過ごそうかなと考えています。手洗いやうがいの習慣化、マスクの着用や手指消毒で清潔を保つこと。これも継続していくことで、今後コロナ以外の感染症が蔓延した時の備えになります。
雨垂れ石を穿つ、と言います。僅かなものですが、出来ることを見つけて行動することが大事だと感じます。

P.K.G.Tokyo 佐藤光

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