P.K.G. MAGAZINE | パッケージを考える

COLUMN

デザインの対価/イニシャルゼロ

人はその人にとって価値のあるものに対し、それを得るための対価として金銭を支払います。価値とはとても不確実なもので、その人にとっては価値のあるものでも、違う人にとっては無価値なものということもよくある話です。デザインという分野はとても誤解を受けやすい分野だと感じます。どんな誤解かと言うと、それは煌びやかさや華やかさこそデザインの本質であるという誤解です。デザインの果たす役割は装飾だけではありません。デザインが介在することによって達成できる目的は多岐にわたります。テレビドラマやCMなどで出てくるデザイナーは安直にオシャレで華やかな職業として描かれていますが、現場はもっとクレバーでストイックです。このことからも社会が抱く「デザイン」へのイメージが「何だかオシャレな職業」程度であることを見ると、社会がデザインに期待する価値と実際のデザインが社会に対してもたらすことができる価値とは、大きく乖離しているのではないかと感じるのです。

社会のデザインに対する「誤解らしきもの」が払拭できない現在。日常的にデザイン業務に関わりのない方々から見れば、デザイン費用はとても想像しづらいものかもしれません。デザインをお願いしたいけれど費用がいくらかかるかわからないという声はよく耳にする意見です。価格の相場が決まらない理由は、依頼できる内容の幅が広いことやデザインを提供する側のスキルが上と下で大きく異なるということもありますが、最も大きな理由はデザインに対する評価が人によって大きく差があるからだと感じています。デザインというものの捉え方が人それぞれで、個々でデザインの価値が大きく異なるのです。共通の価値を見い出せなければ、価格など決まりようもありません。全く別の商品を取り扱っているようなものです。多くの人の価値観で言えば、続けていくための必要最低限だけがあればよく、煌びやかさや華やかさはお金を払ってまで得る必要がありません。もし仮にデザインの目的が煌びやかさなのだとすれば、それは一部の人たちにとっての価値であり、その人たちだけに必要なものと言えるでしょう。例えるならパトロンと肖像画家のような関係性です。庶民や農民は生活に必要ない肖像画に憧れることはありません。当然、依頼することもなければ、対価を支払うこともない。デザインは一部の裕福な人たちの肖像画や宝飾品ではありません。デザインの本質は装飾ではないのです。デザインは目的を達成する手段で、その目的を煮詰め研磨していくことで結果的に美しいデザインが生まれるのです。私が考えるデザインはもっとパブリックで誰もが共有できる価値を持つものなのです。

誤解を恐れずに言うなら、デザイン費用は皆さんの考える価格より高いかもしれません。それは私たちデザイナーがデザインにそれだけの価値があることを知っているからです。しかし、デザインがもたらす真の価値を体験することができなければ、それに対価を支払うことができないのも事実。そこで私たちはベンチャー企業や中小企業が行う商品開発などに関して、イニシャルゼロというデザインフィーのシステムを実践しています。イニシャルゼロは、クライアントによるデザインの一括買い上げではなく、デザインにかかる初期コストをゼロ円にする代わりに、その商品の売り上げに応じて事前に決められたパーセンテージのロイヤリティを支払ってもらう仕組みです。デザインした商品がヒットすればそれに応じ私たちの利益も大きくなり、売れなければそのリスクを事業者と私たちが共に背負うというものです。当然、私たちにとっても目先の利益を追わないデザインでの投資となるので、事業者の本気度や商品の可能性を知った上、相互の利益のため実践する新しいデザインの料金形態です。
デザインの価値を広く知ってもらうためには、デザインに対する理解が必要です。そして、理解してもらうためにはデザインする意味を体験してもらうしかない。デザインの可能性を広げるため、私たちは新しいチャレンジを始めています。

P.K.G.Tokyo ディレクター:柚山哲平

COLUMN

「デザイン経営」その2/目を向けるべきは、たった二つのこと

その1で取り上げた「デザインラダー」では、デザイン経営の活用における企業の現在地が分かりました。しかしながら今一度、「デザイン経営」の役割と効果について立ち戻ってみる必要があるでしょうか。

現代において私たちの生きる世界の中心には経済活動があり、その活動が行われる場としての「市場」があります。かつては人口も労働力も溢れ、世界のメイン市場の一つであった日本も、すでにその地位を失っているといっても言い過ぎではなく、世界の経済は他の大きな国や新興国の市場へ向かっているのが現実です。そんなグローバル市場においても競争力のある企業が有しているもの、グローバル市場戦略の中心に据えているものとはなんでしょうか。それこそが、デザインです。そのデザインを最大限活用し、グローバル市場で戦える智恵と武器になる経営手法が「デザイン経営」なのです。

「デザイン経営」つまり、デザインと経営を合体させることで得られる効果について、経済産業省 特許庁による「デザイン経営宣言」にはこうあります。

「デザイン経営」の効果=「ブランド力向上」+「イノベーション力向上」

前述の宣言によると「ブランド力」とは「他の企業では代替できないと顧客が思うブランド価値」であり、それは企業の競争力を決定づける資産となるものです。そして、時代や場所に合わせて戦略的にマネージメントすることで、ブランドの市場価値は高めることができるのです。そのブランドマネージメントにデザインは欠かせないものに違いありません。

次に「イノベーション力」とは「社会のニーズを利用者視点で見極め、新しい価値に結び付ける」ことと定義されています。それはつまり、発明や技術革新だけではなし得ない、社会との結びつきをつくり、社会そのものを変えてゆくきっかけをつくること。それこそがデザインのもう一つの力であり、デザイン経営におけるもう一つの役割なのです。

「デザイン経営」において目を向けるべきこと。それはたった二つのこと。

それは、「ブランド力向上」と「イノベーション力向上」です。

そして、それを達成するべき最大の目的はただ一つ。

グローバル市場における「企業競争力の向上」に他なりません。

10年先の世界市場を想像すれば、日本国内市場は明らかに頭打ちです。しかしながら、新型コロナ禍による不都合や、5Gを始めとする様々なテクノロジーにより、グローバル市場がますます溶け合ってゆくことは想像にたやすいのではないでしょうか。そのためにも、これから5年10年の先を見据えて「デザイン経営」こそが、今、本気で取り組むべき課題であることを直視してみてはいかがでしょうか。

P.K.G.Tokyo ディレクター:天野和俊

COLUMN

デザインから伝わる「使いやすさ」の正体

2020.10.08

お店の入り口で押して開けようとしたドアが引き戸だったり、
ガラス張りの建物の入り口が見つからず困ったり、
飲料マシンの操作ボタンを間違って押してしまったり、
日々の暮らしの中で「何気ないミス」を経験した方も少なくないのではないでしょうか。

「アフォーダンス」は、アメリカの心理学者J・Jギブソンが「afford/与える、提供する」という意味から造語した、物理的なモノと人の関係を指した認知心理学における概念です。
J・Jギブソンは「アフォーダンス」をモノの属性と、それをどのように使うことができるかを決定する主体の能力との間の関係のことであり、物をどのように操作するかに強力な手がかりを提供すると定義しています。

コップの取っ手が「持つ」という動作をアフォードしている。
ドアに取り付けられた平らな板は押すことをアフォードしている。
ノブは回すこと、押すこと、引くことをアフォードしている。
小さな細長い穴は何かを挿入することをアフォードしている。

知覚されたアフォーダンスは、どんな行動を取りうるかを
表示や説明の必要なしに思い描く助けになるという考え方です。
回しやすい蛇口の形状や、操作をストレスなく行えるボタンのスイッチ、
押すと引くのサインが無くても簡単に開けられるドアの引き手。
意識しなくとも、自分の求める動作が自然と出来ている状態です。

パッケージにおいても、このような面から様々な包装材の工夫がなされています。
例えば、調味料のキャップ。開け口の小さな出っ張りが指の引っ掛かりを作り、
ワンアクションで開けられるようになっています。
また、ゼリーやヨーグルトのカップ、ハムやベーコンのフィルムの開け口を教えてくれる小さなつまみ。
このようなパッケージの「アフォーダンス」は一見何気ないものですが、
日々の暮らしをとても快適にしてくれるのではないでしょうか。

しかし、一方でパッケージに限らず、過剰な機能を増やしすぎたために
返って操作が困難になり「使いにくく」なったというユーザーの声も多く聞かれます。

人々が潜在的にモノを不自由なく使うためのアクション。
それを起こさせるためのデザインの構造や仕組みとはどのようなものなのでしょうか。
「使いやすさ」の正体のヒントを元に、今の時代本当に求められていることは
何なのか。これからも考えていくことが必要だと感じました。

「誰のためのデザイン?」
-D.Aノーマン(新曜社)

「論理的思考によるデザイン
造形工学の基本と実践」
-山岡俊樹(ビー・エヌ・エヌ新社)

P.K.G.Tokyo 大西 あゆみ

COLUMN

日本酒 FRESH VINTAGEのブランド・デザインができるまで

2020.09.18

先日、リカー ・イノベーションから発売された FRESH VINTAGE。こちらはP.K.G.Tokyoで企画からデザインまでを手掛けました。
FRESH VINTAGEは、ビンテージなのにフレッシュという相反する口当たりをあわせもった、新感覚な日本酒です。しぼりたてのフレッシュな日本酒を-5℃の氷点下で長期間熟成する事で新酒らしいキリッとした味わいと熟成酒らしいまろみのある口当たりを実現しました。酒蔵の中野BCさんによると、その製法にはなんと10年以上もトライアルを重ねられたとか。
フレッシュな味わいとヴィンテージな味わい。まさにその味わいをそのままネーミングにした日本酒です。ロゴタイプも新旧を感じるフォントを選定し、相反する味わいをラベルのツートンカラーで表現しています。3種類あるラベルはそれぞれの味わいをイメージカラーとして配色。酒米の王様と呼ばれる山田錦を使った兵庫山田錦はマットとグロスによる質感の違うブラックにて表現し、和歌山山田錦はカーキとネイビー。やや甘みが強く感じられる備前雄町はピンクとカーキとしました。カラー選定時は実際に貼りつけると湾曲するので色の印象が変わったり、ツートンカラーによる色の相性も苦戦しました。ツートンカラーも単純に垂直に色面分割するのではなくあえてスラッシュにすることで、古典的な日本酒のイメージから掛け離れ、日本酒ジャンルには少ない洋な顔立ちになりました。
今回はそんなFRESH VINTAGEのデザインができるまでの制作一部をご紹介したいと思います。

FLESH VINTAGEを商品化するにあたって、我々が着手する分野はデザインだけに留まりません。 まずはじめに、蔵元、クライアント、デザイナーなどプロジェクトに関わるメンバー全員で、共通の認識を持つためにワークショップを実施します。ワークショップでは、商品を誰にどんな思いを持って買ってもらいたいのか、何を1番の売りにするのかなど言葉にすると難しいイメージやゴールを共有しながら、市場におけるストラテジー策定のためのディスカッションをします。ワークショップは終始「こんな人に買って欲しい!」「うーんもっとこんな人じゃないかな?」と和気あいあいとした空気で進行しました。「きっとこの日本酒を買う人は表参道に住んでいて、GINZAなんかをパラパラとめくりながら週末のファッションや食事を考える女性かな…」なんて想像を膨らませながら話し合うのはとても楽しいディスカッションの時間でした。

この日本酒は誰に買ってもらいたいのか、その人はどんな服を着て、どこに住んでいる?どんな目的を持ってこの日本酒を買っていくのか。そもそもこの日本酒は他と何が違って、どんな価値があるのか。この日本酒を飲んでみて、どうなりたいのか。そんな事を数時間話し合い、意見交換しながら付箋に書き留め、整理するとこの商品の戦略が見えてきました。

さらにワークショップで出たヒントを元に戦略シートを制作。すると、デザインの方向性がかなり明快になってきます。この商品の顧客となる彼女(ペルソナ)の身になって想像すると、この日本酒が持つべき雰囲気やトーン&マナーが具体的にイメージされてきます。

戦略シートやペルソナを元に、ムードボードを制作します。ムードボードとはアイデアやコンセプトを1枚のシートにコラージュしたもので、一概に一言で共有しきれないイメージを絵や写真で説明するものです。例えば「クールでシックなデザインにしましょう」と共有しても、受け取った人や考え方によって「クール」や「シック」のイメージにズレが生じます。その際にムードボードを制作する事で目指したいデザインの認識を共有することができます。 今回の日本酒では、ペルソナの趣味趣向を想像したファッションやインテリア、彼女らが足を運ぶであろうお店の雰囲気やロゴ、身につけていそうなアクセサリーなどをコラージュしたムードボードを用意しました。3種類のうち、たとえば和歌山山田錦や備前雄町のカラーリングは味わいのインスパイアに加え、ムードボードから抽出したペルソナをイメージされるカラーリングでもあります。 そして、ネーミングとデザインの提案です。ネーミング案は全員でイメージを膨らませながら候補を出し合いました。相反するイメージの「ウラハラ」や「八方美人」、「ずるい女」。また製法イメージの「Sleeping Beauty」、味感イメージの「きりりとまろろ」など今になって振り返っても捨てがたい案がたくさん。そうして最終的に決定したものは最も端的に新酒と熟成酒の味わいを一言で説明した「FRESH VINTAGE」となりました。

デザイン提案では、今までに設定したペルソナやムードボードから抽出したストラテジーに基づき、厳選したデザインを提案しました。提案時はカンプと別にダミーボトルも用意。蒸着紙に印刷したものや、黒箔のクロマテックを慎重に転写して準備したこだわりのダミーもあります。リアリティのあるダミーを提案することで完成イメージも共有することができました。(提案の一部)

そうして完成したデザインは、新酒らしいフレッシュと熟成酒らしいビンテージの相反する味わいをイメージしたツートンカラーのラベル。ペルソナイメージのミーハーで好奇心のある女性が、ちょっと良い新しいものを飲みたい、この発見を友人に共有したいと思うデザインです。

伝統的で新しいものが出にくい傾向にある日本酒。10年のトライアルを重ね、今まで経験したことのない味わいのFRESH VINTAGEは、保守的な日本酒において、新しい顔立ちで登場した新時代のお酒です。

こうして完成したFRESH VINTAGE。 このようにP.K.G.Tokyoでは、ワークショップを通してストラテジー策定を実施し、商品の戦略案を提案したのちにデザイン開発をしています。デザインをしていく上では、ゴールを共有する事はとても大事なことです。ワークショップによるストラテジーの開発はデザインする過程の中でも商品が迷走しない為に道筋を立てる重要なステップだと考えています。今回のFRESH VINTAGEでも、売りたい相手やアイデンティティーが明確になったからこそこの素敵な日本酒にハマったデザインができたのではないかと思います。

ビンテージなのにフレッシュという相反する口当たりをあわせもった、新感覚な日本酒。ちょっとしたご褒美や新開拓したいときに。ぜひ酒米別・年代別でもお楽しみください。

・FRESH VINTAGE 2016 和歌山山田錦 720mL ¥8,800(税別)

・FRESH VINTAGE 2018 和歌山山田錦 720mL ¥7,800(税別)

・FRESH VINTAGE 2016 備前雄町 720mL ¥7,800(税別)

・FRESH VINTAGE 2014 兵庫山田錦 1,800mL ¥12,800(税別)

https://kurand.jp/

 

P.K.G.Tokyo 横田栞

COLUMN

日本のパッケージ記号論

2020.09.11

“日本の包みは、運ばれる品物の一時的な飾りではなくて、もはやそれ自体が品物なのである。包装紙そのものが、無料だがしかし貴重なものとして聖化されている。包みが一個の思想なのである。”

“しかし、たいていは幾重にも包まれたこの包みの完璧さそのもののために(人はなかなか包みをときおおせない)、包みが包み込んでいる内容の発見を包みはさきへ押しやる——そして包み込んでいる内容はおおむね無意味なしろものである。つまり、内容の不毛が包みの豊饒と均衡がとれていないという、そのことこそが、まさに日本の包みの特殊性なのである。”

“つまりは相手に贈る肝腎なものは、包み箱そのものであって、包み箱の内容ではない、といった感じである。”

“つまりは、包み箱は表徴の役目を果す。遮光カバーとして包み、仮面としての包み箱は、それが隠し保護しているものと、等価である。と同時に、もしも次の言いかたをその二重の意味、金銭と心理の二つの意味にとっていただけるならば、包み紙は《内容と代替可能》ということを示すものである。包み箱が包みこみ、そして包み箱が表徴するもの自体は、ひどく長い時間、《もっとあとに置かれる》ことになる、あたかも包みの機能は空間の中に保護することではなくて、時間のなかに運びこむことでもあるかのように。”

“包みの中にある内容、表徴のなかにある表徴されるもの、それを発見することは、それを棄てることなのである。蟻のようなエネルギーで日本人が運んでゆくものは、つまるところは空虚な表徴である。”

Roland Barthes (1970). L’Empire des signes
(ロラン・バルト 宗 左近(訳) (1996). 表徴の帝国 ちくま学芸書房)

ロラン・バルトはフランスの思想家、記号学者です。1966年から1968年にかけて数度来日、その経験から西洋の文化のあり方と日本の文化のあり方を、「記号(表徴)」をキーワードに論じています。西洋の文化、思想が意味を重んじるのに対して、日本には意味を隔たった「記号」をもつ文化の国として様々な例を取り上げています。

例えば、皇居について「空虚な中心」として、いかにも都市の中心でありながら誰からも見られることのない皇帝の住む御所として書き記しています。また、西洋の場末のビリヤード・マシンは打ち出した玉を機械をゆすり、進路を調整することに重きを置くことに比べ、日本のパチンコは打ち出した玉の軌跡に全てを委ねるものとして紹介されています。そのあり方は日本の芸術家の、線を一気に引くような、決して矯正のないあり方が根源的絵画の原則と同じであると論じています。

そんな文化論の一節に、冒頭で引用した日本の「包み」があります。日本の包装は、ささやかなお土産のお菓子であってもまるで宝石と同等のように豪勢である、そんな豪勢な包装のお土産を修学旅行の学生たちが容易く持ち歩いていると著者は述べています。そして何重にも包装され、まるで開封のときを遅らせるかのようです。包み箱の価値と中身の価値は等しく、また包みを開けることはその包みの「表徴」を棄てることだとも論じています。

人にものを贈るとき、誰しもパッケージを吟味したことがあるのではないでしょうか。何色かから選べるリボンを相手の好みを想像して選んだり、少し高級な箱に入れてもらったり……逆に貰う立場の際は、素敵なパッケージに期待を膨らませたり、そっと開けるときのワクワクした気持ちは誰しも味わったことがあるかと思います。全ては「贈る」という行為の演出であり、相手との気持ちや時間の共有のための手段としてパッケージが用いられています。贈る行為に込めた思いやりが、ロラン・バルトの論ずる「意味を隔たった記号としての包み」という日本独自の文化を形成してきたのではないかと思います。

現在、世界ではもちろん日本でもパッケージの環境配慮が進んでいます。プラスチックから紙への移行やラベルレスの商品の登場など、パッケージの文化はどんどん変わっていくことになりそうです。もちろん過剰な包装の見直しや、素材への意識のアップデートは進めていくべきだと考えています。パッケージのデザイナーとして、環境配慮には取り組みつつパッケージに潜む日本の文化までを無くしてしまわないよう、心に留めていきたいと思います。

P.K.G.Tokyo 白井絢奈

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